東武鉄道伊勢崎線太田駅の北側、東西を貫く本町通りを西に進むと、左手に書店の「ナカムラヤ」が見えてきます。
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書店の向かい側に、「御城道」の標識がでています。今日は「みじょう市」なので、看板も下がっていますね。
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この細い一方通行の道が、御城道です。そしてここが、その始まりです。
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20メートルほど進むと路地と交差します。御城道は、ひたすら真っ直ぐに北へと伸びています。
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左側には、古い造りのパン工場がみえてきます。終戦直後からパンを製造している「新田パン」の工場です。
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ペンキの外壁に手描アルファベットの社名が書かれています。その昔、米軍がこの地に駐留していた時代の名残なのでしょう。。
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道の右側は「太田小学校」です。古い校舎が、記念館として保存されています。
小学校の屏に沿ったところで、「みじょう市」が開催されています。
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右の写真までで「みじょう市」は終わりです。
車が頻繁に通る広い道を越え、御城道は昔の雰囲気を残す道となってゆきます。
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御城道の始まりからここまでは、おしゃれな石畳に舗装されていますが、ここからは普通の生活道路となります。
しかも、住宅が多く建ち並び、道が新たに整備されてしまったので、厳密には旧道はもう無いのかも知れません。それでも、少しでも
昔の道を再現するべき、道路にはところどころに標識が設置され、旧道の流れを教えてくれます。
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通りから少し北に進むと、太田市でも最も古い幼稚園が左手に見えてきます。
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幼稚園の前を御城道は右に曲がります。正面には、高山神社の小山が見えています。
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正面は神社の参道に繋がる道ですが、御城道は左側、高山の西側を廻るように作られています。
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道はほんの数十メートル、先ほど右に曲がった道を、真っ直ぐ進む道と合流します。南側を見ています。
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道は、北に向かいます。城のあった金山が見えてきています。
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合流点からほんの数メートル先に、高山神社の裏参道があります。
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そこそこの広さの道が、金山方面に造られていますが、この道は御城道ではありません。御城道は、右側の白い建物の前を右に曲がります。
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高山の西側から北側まで、ぐるっと廻り、名刹大光院へ通じる東西の道へ突き当たります。
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西に向かって少し行くと、右側に御城道の標識と矢印があり、この路地が御城道であると知らせてくれます。
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一般の民家の駐車場の脇が御城道です。ただ、道と言うよりは、家と家の隙間のような細い路地です。
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入ってゆくのが、ちょっと怖いような、個人のお宅に入り込んでしまうよな、そんな気持ちにさせられる道です。
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広い道に出ました。ここを右に道は続いています。
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広めめの道に出てすぐ右側に、道祖神が祭られています。
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道の左側は、富士重工の工場になっています。
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工場の敷地が終わるあたり、右側には、見事な松の森が見えてきます。
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道の西には、新田一族の菩提寺だった金龍寺が見えます。
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広い道に出ました。この道は、高山の峠を越え、桐生市に繋がる道です。
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駐車場があります。そして奥には、万葉集の歌碑が建っている公園があります。ハイキングの途中の一休みに便利です。
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駐車場の反対側には、金山から流れ出る小川に沿って公園が造られています。
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道の右側に「大手口石塁」の標識があります。石段の上には井戸があります。
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金山城中に7箇所あった井戸の内の一つ、「桜の井戸」です。
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峠の中腹に「金山城跡」を示す標識が見えてきました。
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道を左に曲がると、金山城に登る曲がりくねった道となります。ここが、金山城跡の登口になっています。
今回の「気ままにそぞろ歩き」はここまで、金山城跡の様子は、『難攻不落の名城「金山城址」』をご覧になってください。
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