こじんまりとした、それでいて歴史を感じさせる入り口の門です。
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門の左側には、「新田荘城跡」の石碑が建っています。
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門に掲げられている扁額は、長崎奉行や南町奉行を歴任し、日露和親条約を締結した二千二百石の旗本「筒井正憲」の書です。
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門を入るとすぐ右側に、円福寺のお堂があります。
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門から見て正面の小高い丘(茶臼山古墳)の上に、社が建っています。
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千手観音堂です。
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時代を経た扁額や奉納額、緑色の美しい釣り灯篭がありました。
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社の中には、観音像が安置されています。
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観音堂の左手には『石幢(石の灯篭)』が建っています。1489年の造立とのことです。
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龕部(灯篭の明かりの部分)には、七面になっており、地蔵が彫られています。もちろん、明かりを入れることはできません。
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十二所神社です。この古墳の中心の神社です。中にはご神体が収められているとのことです。
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茶臼山古墳の中央部です。
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寺の境内の左側の墓地には、新田家累代の墓石が整理され展示されています。
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お墓の詳しい説明が、太田教育委員会の手によって掲げられています。
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門を入ってすぐ左側に、新しい施設ができていました。
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弁天様がいらっしゃる藤棚でした。2008年2月にできたようです。
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観音堂からお寺の境内を見下ろす風景は、なかなか美しいものです。
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円福寺の正面から500メートルほど離れた所に、新田義貞の生誕地が公園として整備されつつあります。
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