気ままにそぞろ歩き
新田荘遺跡「円福寺」

(群馬県太田市)


初回掲載日:2004年5月22日
最終更新日:2008年5月 1日

 群馬県新田町周辺は、新田義貞が活躍していた頃から、新田之荘と呼ばれています。そして、かつての領主「新田一族」にゆかりの遺跡が、 周辺には多数残っています。

 そんな中の一つ、新田町と接する太田市側にある円福寺を訪ねてみました。





 こじんまりとした、それでいて歴史を感じさせる入り口の門です。


 門の左側には、「新田荘城跡」の石碑が建っています。



 門に掲げられている扁額は、長崎奉行や南町奉行を歴任し、日露和親条約を締結した二千二百石の旗本「筒井正憲」の書です。


 門を入るとすぐ右側に、円福寺のお堂があります。




 門から見て正面の小高い丘(茶臼山古墳)の上に、社が建っています。


 千手観音堂です。



 時代を経た扁額や奉納額、緑色の美しい釣り灯篭がありました。



 社の中には、観音像が安置されています。



 観音堂の左手には『石幢(石の灯篭)』が建っています。1489年の造立とのことです。


 龕部(灯篭の明かりの部分)には、七面になっており、地蔵が彫られています。もちろん、明かりを入れることはできません。


 十二所神社です。この古墳の中心の神社です。中にはご神体が収められているとのことです。


 茶臼山古墳の中央部です。  



 寺の境内の左側の墓地には、新田家累代の墓石が整理され展示されています。


 お墓の詳しい説明が、太田教育委員会の手によって掲げられています。


 門を入ってすぐ左側に、新しい施設ができていました。


 弁天様がいらっしゃる藤棚でした。2008年2月にできたようです。


 観音堂からお寺の境内を見下ろす風景は、なかなか美しいものです。


 円福寺の正面から500メートルほど離れた所に、新田義貞の生誕地が公園として整備されつつあります。


 古墳の中に、二つの神社と、お寺である円福寺とが同居しているスタイルです。特に観光地化もされてはおらず、落ち着いたたたずまいは好ましく感じられました。

 歴史は、目立たないところにも、その痕跡を留めているものですね。

写真撮影日:2004年5月15日/2008年5月1日


hpmanager@albsasa.com Albert 佐々木