気ままにそぞろ歩き
新田義貞挙兵の神社「生品神社」

(群馬県新田町)


掲載日:2004年5月16日
最終更新日:2004年7月24日

 武家政権である鎌倉幕府から、政治の実権を奪還しようと、後醍醐天皇は各地の豪族に密書を送り協力を要請しました。

 密書とは言っても、それは勅令(綸旨)です。各地の豪族が立ち上がりました。その一人が足利幕府を創った足利尊氏であり、その親族でもある新田義貞でした。

 足利尊氏も新田義貞も、源氏の名門の武将です。

 新田義貞が、倒幕を決意し、討幕の意志を神に報告、軍を挙げたのが、新田庄の護国神社「生品神社」でした。時は元弘三年(1333)5月8日のことです。



 神社入り口の広場です。左側が駐車場になっています。


 赤い鳥居を潜ると、広場になっています。


 広場と、神社の境内を結ぶ太鼓橋です。



 橋の左側には、小さな新田義貞の銅像が建てられています。


 橋を通り抜け、細い道を横切ると、神社境内の入り口となります。


 三の鳥居から境内を望む風景です。



 意外なほど狭く小さな境内です。


 神社の右手前に、厳重に囲まれた東屋があります。


 東屋の中には、プラスティック樹脂で処理された「古木」がありました。この木は、新田義貞が旗揚げのための軍旗を かかげたクヌギの現物なのだそうです。



 表から見ると、とくに変ったところもない神社ですが。裏に廻ると、残念ながらほとんど朽ち果てていますが、おそらく、かつては華麗に装飾 されていたであろう痕跡の残る小さな建物に続いています。


 小さな銅像ですが、台座に彫られている文字を読むと、昭和16年に、神社の職員を中心に児童1154名が、廃品回収のボランティアを行い、 その収益360円で建立された像なのだそうです。


 入ってすぐの広場には、神社事務所があり、その前には、ビデオガイドの装置が置かれています。




 生品神社は、太田市と伊勢崎市を結ぶ県道2号線の近くにあります。県道に建てられている道しるべです。



 県道2号線です。ただただ一直線に伸びる道は長く、これだけの長さは北海道にもない。直線道路としては、日本で最も長い道なのだそうです。

 境内の周辺を見ると、地元新田町が、保存と整備に力を入れている様子が解りますが、残念ながらライバル「足利尊氏」の足利市とは、自治体としての力が違う。 鄙びているのはしかたがないでしょう。ちょっと残念でした。
写真撮影日:2004年5月15日


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