気ままにそぞろ歩き
難攻不落の名城「金山城址」(群馬県太田市)


初掲載日:2004年2月19日
最終更新日:2009年4月12日

 私が住んでいるのは、群馬県の太田市です。群馬県と聴くと、山の中と思われる方が大多数と思いますが、県南の地である太田市は、 関東平野の最北部に位置しており、山地ではありません。

 それでもようやく、山地に差し掛かっているところなので、小さな起伏、岡とも小山ともえるような盛り上がりが始まり、北部の赤城山から本格的な山地に なってゆきます。そんなロケーションの場所なのです。

 言ってみれば、関東の北の守りを固めなければならない場所とも言えます。金山は、そんな関東を守るための北に向けての砦、山城があったところです。

 城下から、城に登るための道は「御成道」と呼ばれていました。

 現在の太田市本町通りの中央あたりが起点となり、ほぼ北に向かって通っている道です。この道の周囲には、大光院や金龍寺など、太田七福神のお寺があります。

 起点から城跡までの2.5Kmは、歴史を探訪するハイキングコースでもあります。
御成道地図

 金山城は、文明元年(1469)新田家純により築城されたとされています。

 その後、由良氏の居城となり、戦国時代の末期まで、武田家を始め上杉・北条などなど幾多の戦国武将との戦場になった城として有名です。

 由良氏が敗れ、一時は北条氏の支配下に入った後、天正18年(1590)に豊臣秀吉が小田原城を攻め落とし、金山城も廃城となりましたが、関東七名城のひとつとされています。

 明治8年(1875)山頂に新田義貞を祭った新田神社が造営されました。昭和9年には、山の尾根の部分が国の史跡に指定されています。

金山城址

 駅前の大通りを西に300メートルほど進み、右に折れます。大光院の大きな石の山門を通り抜け、左側に大光院の伽藍を見ながら北に進むと、 小さな峠に差し掛かります。その峠の少し前、左に折れる道が、金山城址ハイキングコースの駐車場への道です。折れ曲がった道を進むと、小高い 平地に出ます。そこが駐車場です。
金山城址

 駐車場から、道を少し戻ると、金山城址の入口を示す石塔が建っています。
 車止めがあり、ここからは徒歩で進むこととなります。



金山城址

 道を進んですぐのところに、城址全体の絵と説明の看板が建っています。

 駐車場は、絵の左端になります。

金山城址

 城址の整備は着々と進んでいます。道や石組みはほぼ完了しているようです。
金山城址

 西城門の跡です。この上には門と櫓(やぐら)が建っていたのでしょう。
金山城址

 山を切り開いての城です。起伏があることから、橋も各所に掛かっています。
 また、分岐した道が多く、攻め手をまよわせ、城を守るための道でもありました。
金山城址

 北方に向いて建物の後がいくつも並びます。
金山城址

 馬場です。建物は厩あるいは、休息所でしょう。
金山城址

 小高い山の中腹なのですが、「月ノ池」と呼ばれる湧き水があります。
金山城址

 本丸が建っていた所へと向かう道です。

金山城址

 本丸のすぐ南側下にも、「日ノ池」と呼ばれる池がありました。
金山城址

 ここは、観光用の広場のようです。

金山城址

 本丸が建っていた場所には、明治8年に新田義貞を祭る「新田神社」が建てられました。
金山城址

 本丸の跡地です。御獄神社も建っています。



 金山城址の整備は進んでいますが、新田神社は手付かず。参道は荒れたままです。


 参道下の広場には、巨大なけやきがあります。



 本丸近くの広場には、金山全体の模型があります。


 神社の扉が開いていたので、内部を撮影しました。

 以前は、駐車場のある部分が、関東平野の南を一望できる観光地としてあるだけで、荒れていた城跡ですが、写真のように、すっかり整備が終わっています。


写真撮影日:2004年2月15日・2006年3月21日・2009年4月12日

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