河童わらべ(短編小説集:『江戸日記』より)

掲載日:2012年9月22日

 私の生家は造り酒屋である。新潟の北東、新発田にあった。
 地元新潟にも大学は有ったのだが、父の片腕になり、専務として営業を担当している叔父が、東京の大学を出ていて、なにかというと、楽しかった東京暮らしの話をするものだから、私もそんな東京の下宿暮らしに憧れていた。自然、叔父と同じ私立の大学を受験し、昭和三十四年の春、東京暮らしが始まった。
大学に入って初めての夏休み、東京暮らしの喧騒から、静かな街で過ごす実家の暮らしは退屈だった。子供の頃には入る気にもならなかった倉に、入ってみる気になったのはそんな退屈をまぎらわしたいとの気持ちだったのだろう。
 実家の裏庭には、大きな酒倉が並んで建っているのだが、西の外れに、まるで今の僕の様に、場違いに、ひっそりと、その小さな古い倉がぁった。物置の代わりに使っている倉だったが、その中には、いつの頃からそこに有るのかもわからないような古い収納物も入っている。
 子供の頃には、友達とかくれんぼをしたりして遊んだ倉だが、成長するにつれ関心が無くなり、ここ数年は入った記憶もなかった。何気なく入った倉は、厚い漆喰で守られた別世界だった。夏の熱気や湿気から適度に遮断され、ひんやりとして気持ちが良かった。
(古い物でも整理してみようか)
 そんな気持ちになった。
 倉には、板敷の中二階がぁった。小さな階段で上るのだが、板を組み合わせただけの簡素な造りで、とても重い物を持って上がることなどできそうにない。重く大きな荷物はすべて一階に収納されており、二階には細々した物や、めったに出し入れしない古い物が多かった。子供の頃にも、滅多に二階には上がったことがなかった。
(本当に何年ぶりに上るんだろう)
 そう思いながら、ギシギシと音をたてる階段を登った。
 一階には、電燈線が引き込まれており、電球が吊るされていたが、二階には何の照明設備もなかった。小窓が、東西の面に一つずつ有り、明り取りの役目をはたしている。おそらく、何年も開けたことがないと思われる、重い漆喰の窓を押し開いた。曇り空の淡い光が室内にさし込み、薄暗く陰気だった中二階にも命が吹き込まれた。
 そこには、古びた木箱や葛籠がいく段にも積み重ねられ、箱にはおびただしいほこりが積もっている。そんな中でも、ひときわ古めかしい葛籠が目に付いた。墨で書かれた箱書きも消えかかり、何が書いてあるかはわからなかったが、みょうに気にかかり、開けてみる気持ちになった。上に重ねられた葛籠を降ろし引きずり出した。葛籠の中から出てきたのは、古い日記帳だった。「奉公日記 太助」という文字が読めた。
 我が家は、江戸時代の中期から続く、造り酒屋「菊乃酒造」である。「太助」は、江戸末期の主人で、それまでは田舎の一造り酒屋でしかなかったこの家を、全国的にも知られる、有名な酒造元にした、中興の粗だった。
(こんな物が残っていたとは)
 驚きでいっぱいだった。

 葛の中には、古めかしい書き物がびっしりと詰まっていた。
 使っている紙も大きさもまちまちなその書き物は、私から数えて四代前、祖父のそのまた祖父の日記だった。
 葛は閉じられたまま、開けることがなかったからだろう、意外なほど保存の状態は良く、几帳面な筆跡で書き綴られたその日記は、読むにはそれほど苦労はなかった。
 日記は十三歳の春、初めて奉公に出た翌月から始まり、二十四歳の春までの十一年間の記録だった。
 「太助」は、常陸の国の半農半漁の村から、酒を扱う江戸の酒問屋に奉公にでていた。そこで、四代前の菊乃酒造の主人に見初められ、娘婿として店を継いだのだった。
 太助が奉公した天満屋は、西国の上質の酒を扱っているばかりではなく、近隣はもちろん、米どころ越後からも、質の良い酒を選んで仕入れ商っていた。私の実家「菊乃酒造」は、越後の銘酒として、寛政年間から天満屋に酒を納めていたという。
 太助の日記には、本人の見聞きした事だけではなく、伝え聞いたことや、瓦版などを読んで知ったと思われることなども含まれていた。
 この話しは、その中の最初に書かれていた。まだ幼かった太助に、なにくれと気を使ってくれていたやさしい番頭が店を辞め、隠居仕事として店のすぐ近くで家主となった。主の使いで物を届けた時に聞かされた話のようだ。
 日本橋を西に渡り、筋違御門に向かって進むと、そこが室町一丁目、現在の三越本店のあるあたりである。道に添って西に室町二町目、三丁目と続き、その三丁目に天満屋はあった。間口が六間の大店である。
 店の西側は路地になっていて、そこを入ると、ちょうど天満屋の北の塀に接するように、「梅の樹長屋」と呼ばれている長屋があった。
 この長屋は、二年前から天満屋の所有となり、番頭として長く勤めた喜作が、店を辞めた後に家主として住込み込んでいた。
 天満屋が、室町三丁目に店をかまえたのは、三十年ほど前だったという。長屋は、その数年後に建てられたようだ。
 主人家族の住居を兼ねた天満屋の店舗は、良質な材木を使って造られていたし、出入りの大工が常に手入れをしていたので、三十年の古さは、風格となっていたのだが、梅の木長屋の方は、もともとが安普請だったことと、当時の所有者が手入れをしなかったことから、天満屋が喜作のためにと買い取った頃には、住むに耐えないほど老朽化していた。
 長屋を買い取った天満屋は、さっそく修理をほどこし、どうか住めるようにはなっているが、みすぼらしいことには変わりはなかった。
「近い内に、建て替えなければなるまいて」
 天満屋の主人仙太郎は、大工の頭領に話している。
 そんな梅の木長屋だったから、当然ながら店賃は安い。その長屋の一軒に「文太」という少年が住んでいた。
 それはまだ、太助が奉公に入って間のない頃である。
 文太は、時々、父親のための少しの酒を、天満屋に買いにきていた。
 天満屋は問屋としての卸しだけではなく、小売りもしていた。ごく安い地酒を、升で秤売りをするのは、奉公を始めたばかりの太助の仕事だったから、文太は店に入ると、太助を探し、天満屋の屋号の入った大徳利を突出す。
「今日は、三合おくれ」
 握りしめた手には、小銭が入っている。
「お、今日は三合もかい、豪勢だね」
「うん。おとうの手間賃が入ったんだよ。酒ぇ買ったら、次は豆腐屋に行くんだ。やっこで飲むのがおとうはいっとう好きなんだって」
「そうか、よかったなぁ、文太。わたしの親爺も豆腐がすきよ。田舎だから豆腐屋なんて無いから、お袋が作るんだが、旨い豆腐だよ」
「へぇ、自分ちでも豆腐って作れるんかい?」
「ああ、つくれるよ。手間はかかるけどな」
「ふ〜ん、自分ちで作った方が安いんだろうなぁ。おれんちは貧乏だから、いつも半丁しか買えないけど、安く作れるんなら、おれが作っておとうに腹一杯食わせてやりてえなぁ」
 貧しい家計を子供ながら必死に支えている文太だったから、年の割には大人びたことを言う、そんな子供だった。
 腕の良い大工の息子として生まれた文太だが、まだ六才になったばかりの頃、父親が足場から落ち、右足の自由を奪われた。
 足が不自由なのでは大工はできない。
 父親は、大工の腕を生かし、家でもできる指し物職人に替わったのだが、正規な修行を積み重ね一人前になった職人ではなかったから、一人前の手間賃をとることはできなかった。
 そんな事情で、店賃の安い梅の木長屋に移り住んだようだ。
 しかし、文太は一人っ子で、親子三人だけの暮らしだったから、それでもなんとか人並の暮らしもしていたらしいのだが、文太が八才のとき、母親が病気になった。
 もともと、かつかつの生活だったのだから、薬代のかかる病人をかかえての生活は、いっきに困窮した。
(おれも、働いてかあちゃんの薬代をかせぐんだ)
 親思いの文太は考えた。
 これまでも、母親のする内職の手伝いを進んでしていた文太だから、子供なりに助けるつもりだったのだが、根を詰める内職仕事は病身の母親には無理だった。もう手伝うこともできない。
(何か、おれにできる仕事を探そう)
 まずしい暮らしをする子供の中には、朝早く起きて浜に行き、「あさり」を採って下町を売り歩く者が少なくなかった。
 文太も、そんな子供達に交じって、あさり採りを始めた。
 文太達の猟場は築地の浜だった。
 室町の長屋から築地の浜までは、子供の足で半刻(約一時間)近くもかかる。
 潮の満ち引きの関係から、あさり採りの時刻は変化したが、夜が明けて明るくなる六ツ(午前六時頃)過ぎには家を出て、日本橋を渡り、八丁堀を抜け、稲荷橋を越えて浜に出た。
 帰りは、稲荷橋を越えてから、朝通ってきた道とは逆に、右に曲がって高橋を渡り東湊町に出る。川口町・濱町と大川端の町を、採ったあさりを売りながら、室町の長屋に帰った。
同じ長屋に、十四歳になる長吉という少年がいて、もう三年もあさり売りをしていた。
文太があさり売りをしたいと相談すると、春から上野広小路の太物問屋に奉公の決まっている長吉は、喜んであさりの採り方を教えてくれたし、売り先のお得意さんも紹介してくれたのだ。
「いいかぁ、あさりを売りに行くときにはなぁ、戸口で大っきな声ぇだすんだぞ。小っちゃな声だしてたんざぁ、あさりがまずそうにならぁ。おめえが元気なら、それだけあさりの生きが良く見えるんだからなぁ」
 始めの三日ほどは、長吉が文太に付き添ってくれた。
「あさり〜ぃ、え〜、あさり〜ぃ。生きのいいあさり〜ぃ」
 大人のあさり売りなら、天秤の両側にあさりを入れた大きな笊を付けて、通りを独特の売り声で流して歩くが、子供の場合は少し違う。肩から下げた布袋に竹で編んだ笊を入れ、その中にあさりを入れて売り歩くのだ。
 まだ九才になったばかりの文太だったから、ほかの子供達に交じって浜に行っても、ほんの浅いところでしか採れない。それに加え、集まる子供の人数が多かったこともあり、文太の収穫は微々たるものだった。
「おっきなあさりをいっぺえ採って、銭をたんとかせいで、おっかあに旨いものくわせてやりてえなぁ」
 幼さが残る文太ではあったが、いつも思っていた。
 ひといちばい根気強い性格だったこともあって、他の子供よりは早く起きて浜に行き、もうあらかた採りつくされてしまった河原に、最後まで残っているのも、いつも文太だった。
 それでも、文太の稼ぎは少なかった。
 子供達があさりを採る場所は決まっている。あさりの採れる浜のほとんどの場所は、本職の漁師のための地域だ。子供達が採る場所は、家計を助けるために働く子供達のためにと、漁師達がわざわざ用意し、開放していた場所だったのだ。
 築地の浜は、大川の流れが海にでたところであり、対岸には佃島も見える。海とはいっても、まだ川の延長のような地形で、大海の荒波もここまでは押し寄せてはこない。波は穏やかで、危険などまったくないように見えた。しかし、この浜のもっとも河口に近い地域には、「河童」がでるとの言い伝えの浜がぁった。「河童ガ浜」と呼ばれているその一角は、子供ばかりか大人でも近づいてはいけないと厳しく言い伝えられている。
「夜中、酒に酔ってうっかりと河童浜に近づいた男が、それっきり行方不明になったなんざぁ、しょっちゅうだよ」
 地元の漁師の言葉に、子供達だけではなく大人ですら恐がって近づかない。
 古来河童は、人を水の中に引きずり込むと信じられ、恐れられていた。
 河童の伝説は、北は陸奥から、南は九州の鹿児島まで、幅広く流布している。地域によって、ひょうきんな河童や、人間と仲の良い河童もいるが、いたずらをしたり、人に害をなす魔物としての河童の方が多い。
 その日も文太の収穫はほとんどなかった。
 文太が持つ小さな篭には、しじみ程度の小さな貝が二〜三十個と、中位の大きさのあさりが数個しか入っていない。
 仲間の子供達はもうすっかり引上げてしまって、文太はただ一人、とぼとぼと浜を歩いていた。
「これじゃぁ、銭にもなんにもなりゃぁしねえや。おっきな貝を篭いっぺえ採ってみてえなぁ」
 うわの空で歩くうちに、太助は、自分が「河童ガ浜」に入っているのに気がついて、はっと息を呑んだ。
 「ここは、河童ガ浜じゃぁねえか」
 きょろきょろと、あたりを見回したが、人影はまったく見えなかった。
「よかったぁ。河童はまだ起きていねえみたいだなぁ」
 安心して、少し落ち着いてくると、そこはまだ子供の太助でぁる、好奇心がむくむくと頭をもたげる。
「きれいな浜だなぁ。砂がきらきらしていらぁ。きっと、おっきなあさりがいるんだろうなぁ」
 つぶやきながら、おそるおそると水辺に近づいた。
 まったく人の手の入らない、きれいな砂の浜が広がっている。
「あさりならいっぺえいるよ」
 しゃがみこんでいた太助の背後で、突然、人の声がした。
「わぁ」
 びっくりした文太は、持っていた篭を放りだしてし、恐ろしさにうずくまってしまった。
「ちっちゃなあさりだなぁ。こんなの採ってどおするだぁ」
 まだ子供の声のようだ。
「江戸んもんは、こんなあさりを喰だか」
 てっきり河童が後ろにあらわれたと思った文太だったが、どうも様子が違うと気がついた。おそるおそる後ろを見ると、文太よりももう少し年下の少年が立っている。日に焼けて黒々とした肌の少年は、ふんどしに腹掛けだけを着ており、裸足だった。
「なぁんだ、脅かすんじゃぁねえや。おれはてっきり河童かと思ったぁ」
「河童てなんだぁ」
「河童を知らねえんか」
「知らねえ」
「おめえ、どこからきたぁ」
「佃島からおとうと船に乗ってきたんだ」
「おめえのおとうはどこにいるんだ」
「船から魚ぁ降ろして、魚屋へ持ってってるだ。おれはここでおとうを待ってる」
 文太は納得した。
 島で育ったこの子が、河童を知らないのもなんとなく理解できたし、漁師が採ってきた魚を早朝売りにくることも知っている。この子が、そんな漁師の子供であれば、河童ガ浜に一人でいるのも不思議ではないと思った。
「ここはなぁ、河童ガ浜っていってなぁ、河童が人をさらう恐ろしい場所なんだぜ」
「ふーん。海坊主みてえなもんかなぁ。でも、おれは恐ろしくなんかねえよ。おとうがいつも言ってらぁ、あんなもんはみーんな、人間が考えだしたうそっぱちだってよ」
 文太は利発な子供だったし、迷信なんてあまり信じてはいなかった。河童についても半信半疑だったが、文太の父親は、当時の江戸っ子がそうだったように、なにかと縁起をかつぐ。
「河童ガ浜には行くなよ」
 耳にたこができるくらい、聞かされていたから、ふいに声をかけられてびっくりしたのだが、年下の子供からそう言われて、恥ずかしかった。
「お・おれだって、信じちゃぁいねえやぁ」
 強ぶってみせている。
 漁師の子で、いつも蛤や赤貝やほたてを採っているというその子は、文太のために器用に水の中にもぐって、自分の身長よりも深いところのあさりをも採ってくれた。
「おれは、こんなにでっけえあさり、始めて見たぁ」
 採ってきたあさりを見て、文太はびっくりした。
「こんなんはまだちいっちぇえもんだ。あさりとしちゃぁ大きいだども、海にはもっとでっけえ貝がうじょうじょいるだょ」
 魚吉と名乗ったその子は、
「おとうが帰ってくるまでのひまつぶしだよ」
 と言って、文太の篭があふれるくらいの大きなあさりを採ってくれた。
 それからは毎朝、文太は魚吉と会った。もちろん大人から禁じられている場所だったから、だれにも河童ガ浜に行っているとは話していない。文太だけの秘密だった。
 魚吉の採ってくれるあさりは、大きくて味も良かったから良い値で売れた。充分な金額を母親に渡しても、まだ余る。
 文太は残した金で「せんべい」や「まんじゅう」や「だいふく」を買い、浜に持って行った。魚吉への礼のつもりだった。
「おらぁ、こんなうめえもん食ったの初めてだ」
 うれしそうに、目を輝かせて「だいふく」をほおばる魚吉を見るのも楽しかった。
 文太にしたって、「だいふく」なんて贅沢な菓子を食べるのは、めったに無かったことなのだが、魚吉にはそんな素振りは見せたくない。せいいっぱい、兄貴風を吹かせながら言う。
「昨日はいそがしくってよ。近くの店で買っただいふくだから、あんまり旨くはねえが、こん次は、日本橋の藤野屋で名物の『雪大福』を買ってくらぁな。あいつは旨えぞ。おれの大好物だい」
 見えを張る文太だった。
 篭にいっぱいのしじみを採ると、二人は川岸の流木に腰をかけ、前の日に買った菓子をたべながら、しばらく遊ぶのが日課となった。
 文太は一人っ子だったし、小さな頃から母親の手内職を手伝っていたので、子供どうしで遊ぶという経験が少なかった。毎朝会う魚吉は、文太にとっては始めてできた親友であり、弟のように感じていた。
 そんな毎日が四ヶ月ほども過ぎたころ、いつもの通り、二人が川の方に向かって並んで座り、せんべえを食べながら話しをしていると、後ろの土手の方から、大声で怒鳴る声が聞こえてきた。
「お〜い、文太。何んてことしてるんだ」
 振り返ると、同じ長屋に住む、野菜売りの和助の姿が土手の上に見えた。
「おめえの隣にいるのは河童だぞぉ」
 遠くからの怒鳴り声だったので、始めはなにを言っているのか分からなかった文太だったが、二度目の声ははっきりと聞こえた。びっくりして、魚吉の座っている方に向き直ったのだが、何故か魚吉の姿が見えなかった。何度も回りを見たのだが、魚吉はどこにもいない。
「文太ぁ。早くこっちへこい。まごまごしてると、海ん中引きずりこまれるぞ」
 和助の話しによると、文太の隣に座っていたのは間違いなく河童だったという。
 もっとも、まだ小さな河童で、頭の皿は醤油の小皿くらいしかなかったと、太助の父親に話している。
 文太は両親から、
「子供の河童はな、まだ力がないもんだから、人間の姿にばけて騙し、安心させておいてから引きずり込むんだ。文太おまえはもう少しで二度とこの家に帰れなくなるところだったんだぞ」
 何度も何度も強く言われているうちに、だんだんと恐ろしくなってきた。
「もう二度と河童ガ浜にはゆかないよ」
 心から、約束をした文太だった。
 それから数ヶ月、文太は「河童ガ浜」には近づいていない。
 文太の、必死の看病もむなしく、母親が死んだのは、もう秋を知らせる北風の吹き出すころだった。歩くことのできない父親に代わって、通夜から、葬儀・野辺送りと、文太は喪主代わりを勤めた。
 大好きだった母親をなくし、打ちのめされた文太にとって、大人に交じって勤めた喪主の代役は、その小さな心と身体には、負担が大き過ぎたようだ。総てが終わった後、疲れはて、一人になりたくて河原に行った。土手に腰をかけて川面をみつめる。
 川といっても、もうすぐ海にそそぐ河口である。川幅も広く、遠くには海も見える。海には、帆を張った廻船が小さく見えるし、近くには野菜やさまざまな生活物資を積んだ川船も、通っている。 
 およそ一刻(二時間)ほどもぼんやりと川を見つめていたのだろうか、ふっと「魚吉」のことを思い出した。それが「河童」だったらしいことは、文太も納得している。納得はしていても、魚吉と二人過ごした楽しい毎日が、無性に懐かしく思いだされ悲しかった。
「河童ガ浜に行ってみよう。浜に降りなければ恐ろしくなんかねえやぁ。土手の上から浜を見るだけなら大丈夫だい」
 そう自分に言い聞かせると歩きだした。
 久しぶりに来てみた浜だったが、風景はまるで変わっていない。土手の上から浜を見下ろすと、かつて二人が腰をかけ、菓子を食べながら楽しい会話をしたその流木が、そのままに横たわっている。
 家を出たのは七ツ(午後四時)前だったが、秋の日は早く、流木には長い影ができている。文太は、浜を見下ろす土手の枯れ草の上に座ると、ぼんやりと浜の流木を見つめた。魚吉と過ごした、楽しかった時のことが、一つ一つ思い出される。
「いいやつだったなぁ。だいふくをやったら、夢中になった頬張って、むせって、目ぇ白黒させてやがったっけ」
「独楽の回し方も知らねえで、いくらおせえても巧くならねえもんだから、もをやめよおって言ったら、むきんなって、涙ぐみやがって、かわいかったなぁ」
「そおいやぁ、ぁいつも一人っ子だって、言ってたなぁ。さびしかったんだろうなぁ。おれのこと、『文にいちゃん』なんて呼びやがって、おれも『吉ちゃん』って呼んでたっけ」
 涙が二筋の川になって、頬をつたって流れている。まぶたいっぱいに涙がたまり、目は開いているのだが、景色はゆらゆらと動めき、前はまったく見えなくなってしまった。
(ズゥー)
 鼻水をすすると、目をつぶった。まぶたが合わさり、たまった涙が流れると、ぼぅっと周りが見えてきた。
(おや?)
 しだいに、鮮明になってくる視界が、黒く風化して横たわる流木の上に、小さな「人影」をとらえた。
「き、吉ちゃんじゃぁねえのか!」
 流木に腰をかけた子供の河童が、ちょうと文太と同じように、うなだれて物思いにふけっている。
 はっきり見えるようになった文太の目には、河童の子供が泣いているのがわかった。
「や・やっぱり河童だったんだ。でも、でもあれは、吉ちゃんだ」
 文太はたまらなくなった。
「河童だっていいや。あいつは……、あいつはおれの弟だ」
 文太は立上がると、必死になって土手をかけ降りた。
「吉ちゃーん」
 ころげながら、叫びながら文太は走った。走った。
 その声を聞いて、河童の子が振り向き、文太の姿を見とめると、立上がり文太めがけて走り出した。
「文にいーちゃん」
 二つの影が、一つになって、長い影が、砂浜に尾を引いた。
 その日から、文太の姿を見た者はいないとのことだった。
                                完


河童と民話館へ
hpmanager@albsasa.com Albert 佐々木