栃木県益子地方「鶏足寺池の河童」伝承より
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下野(しもつけ)の国益子の里(現在の栃木県芳賀郡益子町)を流れる小貝川から少し離れた森の近くには、大きなお寺、鶏足寺がありました。 寺の境内から見ると、小貝川に向かってちょうど森の陰になったところに池があり、鶏足寺池と里人達は呼んでいました。池にのまんなかには、小さな祠と鳥居が建つている島があり、池の守り神の蛇を祀ってありました。 池から川までの間は、雑草の藪になっていて、人が近づいたりすることはまれでした。池は、年に1回おこなわれる守り神へのお祭りの時以外には、めったに人がくることもなく、ひっそりと水をたたえていたのです。 ある春の暖かい日のことでした。小貝川のもっと上流に住んでいた河童の太郎は、父親の河童に呼ばれ、こう言われたのです。 「太郎、おめえももう大人だ。いつまでもここにいたんじゃぁ、世の中のことはわからねえ。世間知らずはかわずにまかして、おめえは旅にでろ。そんでな、かわいい嫁さ、見っけてこい」 言われるまでも無く、旅に出たくてしかたがなかった太郎です。喜んで川を下って、ここ益子の里まで下ってきました。そして、この池を見つけたのです。 「はいやぁ、これは良い池だっぺ。人目にはつきにくいし、広さも充分、俺の住処にすっぺ」 太郎は、川から魚やうなぎ、川海老や小さな蟹などを捕らえてきては池に放ちました。胡瓜や瓜などの野菜が常食の河童ですが、魚や川海老も食べることがあります。季節が悪く、野菜が手に入らなかった時や、川で獲物が捕れなかった時のための食料にするとともに、遊び相手にもするつもりなのです。 夜は、池の底に沈んで眠る太郎ですが、暖かい日中は、祠のある小島に寝そべって昼寝をしたり、蟹と遊んだりして過ごしていました。 そんな太郎の様子を、森の中からそっと見ていた二つの目がありました。色の真っ白い、まだ若い女の子たぬきの花子です。 この池は、花子も気に入っていて、遊び場にしていました。 「なによぉ、あいつ。あたいの池なのに……」 機嫌が悪い花子でした。しかし、力では河童にはかないません。だまって、こっそり、見ているしかない自分が悔しくてしかたがありませんでした。 そんな時でした、風が、池から森に向かって吹いています。普通なら、声など聞こえないほど離れてはいたのですが、太郎の独り言が風に乗って花子に聞こえてきたのです。 「住むところはできたっぺ。次は嫁っ子だな」 「ふん、いけ好かない。なにが嫁っ子よぉ。女の河童だって相手を選ぶわよね。あいつの顔を見てよ。ちっとも良い河童じゃあないじゃない。鏡なんて見たことないのかしらね」 とは言ったものの、フッと、気が付いたことがありました。 「そうだぁ、あたいが河童に化けて、あいつをたぶらかしてやろうじゃない」 太郎が川に行っている留守に、森から池の岸まで出てきた花子は、白い小さな女の河童に化けました。 「なかなよねぇ。かわいく化けられたわぁ」 池に写る、河童に化けた自分の姿を見て花子は満足でした。 「こんなかわいい河童、太郎になんかもったいないわよね」 河童に化けた花子は、島にわたり、祠の中で太郎を待つことにしたのです。 いつもならば、まだ太陽が高いところにあるうちに帰ってくる太郎でしたが、なぜかこの日はもうすぐ夕方になるというのに、まだ帰ってはきません。 「どうしたのかしら。あたい、お腹が空いちゃったわぁ」 待ちくたびれていると、ようやく、太郎が帰ってくる足音が、パタ、パタと、聞こえてきました。 「帰ってきたわぁ」 祠の中からいったん外に出た河童の花子は、太郎に見つからないよう、祠の影に身をひそめて待っています。 「今日はやけに川が荒れてたなぁ。な〜んにも捕れなかった。しかたないっぺ。池の魚でも食らうか」 太郎の独り言を聞いていた花子のお腹が、「グ〜ゥ」と、鳴りました。 「おや、だれかいるんか」 祠の後ろから、河童に化けた花子が頭をちょこんと出しました。 「あれまぁ。おめも、河童けぇ」 (しめたわ。太郎のやつ、あたいを河童と思ってるわ) 自信を持った花子は、太郎の前に出てきました。 「お、おめえは……(なんと、かわいい河童の娘だぺ)」 一目で、すっかり気に入ってしまった太郎でした。 (な、なにを言えばいいんだっぺ。おれ、娘っ子と話なんぞしたことねえもんなぁ) その時、また、花子のお腹が「グ〜ゥ」と鳴りました。 「おめえ、腹ぁ空いてんのか」 コクンと、うなづいた河童の花子を見て、太郎は嬉しくなりました。 「よっしゃぁ。おれにまかせてけれ。こんな時のために、池にはでっけえうなぎを入れてあるのさ。おら、今、捕って来るかんな」
ちょっと恥ずかしそうにしながら、太郎はうなぎを花子に差し出しました。 (へぇ、見た目は悪い河童だけど、いいとこあるんだぁ) 花子は太郎を見直しています。憎いと思う心は、少し薄らいできていました。 その日から、毎日のように、河童に化けた白たぬきの花子は、池に遊びに来るようになりました。
「この河童が悪さをしてたんだな。和尚さまのお酒を盗むなんて、けしからん河童だ、懲らしめてやろう」 花子を取り囲んだ三人の小坊さんは、手に持った箒や木魚のバチで花子を殴りつけたのです。 「た、助けて〜ぇ。太郎さ〜ん」 池の岸に座り、花子が来るのを待っていた太郎は、遠くから聴こえてくる花子の助けを呼ぶ声に驚き、あわてて寺に向かって走って行きました。 寺の裏庭に着いてみると、殴られ血を出し、それでも必死になって河童に化けた姿が、たぬきに戻らないようにがんばっている花子が目に入りました。 人間よりはずっと小さな河童です。一人が相手でも負けるかもしれない人間との争い。それを、三人を相手では勝てるはずはありません。でも、太郎には、そんなことを考えている余裕はありませんでした。 「花子〜ぉ」 その声は、人間には『クエッケッケー』と聞こえます。振り向いた小坊さんに、太郎は頭突きをしました。 頭のお皿にひびが入り、激しい痛みを感じた太郎ですが、気にはなりませんでした。小坊さんが持っていたバチを奪い取ると、むちゃくちゃに振り回して三人に向かっていったのです。 お皿にはひびが入り、背中の甲羅はお尻のところが少し欠けてしまいましたが、それでもなんとか戦い。怪我した花子を背負って池まで逃げることができたのです。 太郎は、傷ついた花子を、五日も寝ずに看病しました。河童に化けることを止め、たぬきの姿に戻れば、もっと早く直ったのですが、花子にはどうしても自分がたぬきであることを太郎に知られたくなくて、化け続けることに体力を使ったことが、花子の回復を遅らせたのです。 ようやく、起き上がって話ができるまで花子が回復した時には、太郎の方が、げっそりとやせ細っていました。そんな姿を見て花子は、感謝の気持ちで涙が止まりませんでした。 そして、心の奥底で、河童に化け、太郎を騙していることを恥ずかしく思いました。そしてまた、悲しくも思いました。 (あたいが、本当に河童ならばよかったのに。そうだったら、太郎さんの良い奥さんになったのに……) 花子がようやく一人で起きられるようになった日のことです。太郎が、花子に食べさせる魚を捕りに川に行っている間に、花子の姿が見えなくなってしまいました。 (おかしいなぁ。まだそんなに動き回れるほどは直ってねえべによ。どこにいったんだっぺ) 太郎は、毎日毎日、池の岸に座り、花子が戻ってくるのを待っていました。そんな姿を、通りかかった仲間の河童は、 「太郎よぉ。おめえ、たぬきにばかされていたんだっぺ。そこの森には、化けるのがうめえ白たぬきが住んでいるってよ、じいさんが言ってた」 とからかうのでした。 ずっと前から、太郎は、花子が白いたぬきであることを知っていました。一緒にお酒を飲んだときに、ぽろっと、白い尻尾が出たのを見てしまっていたからです。 (たぬきだってよかっぺ。おらぁ、花子が好きだぁ) そんな気持ちを抑えきれなくなって太郎は、池の岸辺から森の方を向いて大声で叫びました。 「花子よ〜ぉ。好きだよ〜ぉ。たぬきだってええよ〜ぉ。逢いてえよ〜ぉ」 太郎の悲しい声は、森の木々に木霊し、いつまでもいつまでも、その声は消えずに、小さくなりながら聞えていました。 写真は、益子在住の陶芸家「横倉正」氏の作品です |