茨城県牛久沼地域の伝承より
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牛久の沼には、古くから河童が住み着いているといわれていました。 夏の暑い日の夜など、どこからともなく祭囃子の音色が聞こえてくることがあります。村人達は、どこかの家で、夏祭りのために稽古でもしているのだろうと、始めは気にもしなかったのです。 しかし、村では笛の名手との呼び声も高い彦重が気がついたのでした。その音色を良く聴いてみると、村の祭りでは聴いたこともない囃子だったのです。 「おかしいべぇ。こんな祭囃子、おれは聴いたことがねえぞ。なあ、孫七」 「そういえば、おらっちも聴いたことはねえなぁ」 ということになり、二人は囃子の音を頼りに笛の吹き手を探すことになったのです。 「彦重よ。どうやら、牛久沼の方から聴こえてくるようじゃあねえかぁ」 「そうよなぁ。おかしいなぁ。あのあたりには家なんぞなかんべぇ」 夜だったので良く見えなかったのではないかと思った二人は、翌朝、音が聞こえたあたりに行ってはみたが、やはり、葦が背の高さほども伸び茂っているだけでした。 「これはきっと、河童の祭囃子だべぇ」 村人は納得したのだそうです。 こんな河童話の他にも、提灯を持たず、岸辺の道を歩いていると、どこからともなく提灯の明かりが現われ、道案内をしていれるなど、牛久沼の河童は、人に危害を加えるようなこともなく、もう何百年も、村人とは仲良く共に暮らしていたのでした。 それが、ここ一、二年ほど前から様子が変わってきのです。 畑の作物を盗んでいる、そんな程度の悪さなら、村人も怒りはしません、 「河童も腹さ空くんだんべ」 許していたのですが、厩の馬を脅かしけしかけ、暴走させるなど、悪戯が悪質になってきていました。 庄屋の屋敷では、馬が暴れて鶏小屋に駆け込んだことから、すっかりおびえた鶏が、それ以降、卵を産まなくなってしまったのです。 「もう、我慢はできませんよ。村の衆、悪戯者の河童を懲らしめてやりなさい」 水戸黄門のような、白い髭を自慢している庄屋の隠居が、村の青年達を集めて命令をしたのです。 さて、青年達は困ってしまいました。河童を捕まえたことなんてこれまで一度も無かったのですから、その方法が判りません。しかたなく、狸や狐を捕らえる罠を岸辺に置いて様子を見守ってはみたのですが、まったく効果はありませんでした。 「なあ、彦衛門よぉ。おまえの家の畑仕事はみなで助けるでよぉ。水練達者なおまえが、沼を泳ぎまわって河童を捕めえてくれよ」 青年達は、村一番の泳ぎの名手だった彦衛門に河童探しを頼むことになりました。 「よし、皆の頼みなら断るわけにもいかんえべ。河童を捕らえるまで、毎日でも沼さ行くさ」 翌日から彦衛門の沼通いが始まりました。初日から見つけることができるとは思ってもいない彦衛門だったが、さすがに十日も過ぎると、すこし焦る気持ちも出てきました。 「毎日毎日、沼を泳ぎまわっているが、河童はみつからねぇ。いつまでこんな仕事が続くんだろうなぁ」 ちょうどお昼のご飯時だったので、葦を刈り、整地した上に廃材の板を並べただけの、仮設の休み場で弁当の握り飯を食べていた彦衛門でした。 「おいおい、彦衛門よぉ」 どこからか彦衛門を呼ぶ声が聞こえます。 「おや、だれだべ」 声のする方向を見た彦衛門は驚きました。沼の水の中から河童が頭の半分を水中から出し、彦衛門を見ているのです。 (よ、河童だ。ようしぃ、捕まえてやるぞ) 思った彦衛門でしたが、河童との距離はかなり離れています。泳ぎが得意な彦衛門とはいっても、水の中では河童の方が有利です。十分に引きつけてからではないととても捕らえることはできないと彦衛門は思いました。 つとめて明るい声で河童に問い掛けたのです。 「だれかと思ったら、河童さんかい。なにか用かい」 「旨そうな握り飯だなぁ。おかみさんが作ってくれたんかい」 「おうそうよ。われのかみさんは料理が上手くてなぁ。この握り飯も中身は梅干なんかじゃねえょ。沼で取れた小魚を甘辛く煮たもんがへえてらぁ。旨いぞぉ」 見せびらかすように握り飯を河童の目の前に広げて見せた彦衛門でした。 「旨そうだなぁ」 河童の目は、旨そうな握り飯に注がれ、誘われたようにそろそろと岸に上がってきました。 「それ、捕まえてやる」 とつぜんに立ち上がった彦衛門は、河童につかみかかったのです。 驚いた河童は、沼の方への向き直り、水の中へと飛び込んだのだが、数メートルも泳がないうちに彦衛門に追いつかれたのでした。 両手を後ろ向きにつかまれてしまった河童は、泳ぐこともできず、彦衛門に岸へと引きずり上げられてしまったのです。 「な、なにをする。おえはお前にこんなことをされる理由はないぞぉ」 わめき騒いだ河童でしたが、 「うるせぇ、庄屋さまの馬をけしかけ、鳥小屋に追いこんだは、おめぇだべ」 彦衛門に怒鳴られ、河童は口答えもできずおとなしくなってしまいました。 陸へと河童を引き上げた彦衛門は、岸辺に大きく立つ古い松ノ木に河童を縛りつけたのです。 「いいか、おとなしくしていろよ。いまなぁ、庄屋屋敷のご隠居さまを連れてくるからな。ご隠居さまは厳しいお人だ、覚悟しておけよ」 言い捨てた彦衛門は、庄屋屋敷へと走ってゆきました。 庄屋屋敷のご隠居と、この騒ぎを聞きつけた村人達は、彦衛門に案内され、岸辺の大木へと集まってきました。 松ノ木に縛られた河童を見ると、その前に、大きな水溜りができています。 「おや、なんだべぇ。こんなところに水溜りなんぞなかったになぁ」 彦衛門が近づいてみると、その水溜りは河童が泣いて流した涙だったのです。 「彦衛門、でかしたでかした。このにくい河童は殺してしまうとして、お前には褒美をやらねばならないなぁ」 そんな問いかけも彦衛門には聞こえませんでした。松ノ木に縛られ、悲しそうに涙を流し、河童がじっと彦衛門を見詰めていたからです。 「のう、彦衛門、褒美はなにが欲しい」 ご隠居から言いかけられた彦衛門は、 「ご隠居さま。褒美なんどなんにもいらねえ。河童は、あんなにも泣いて悔いていますだ。きっと、もう悪さはしないと誓いさせます。どうか、命を助けてやってください」 「彦衛門さ〜ん」 彦衛門の言葉を聞いた河童は、一声叫ぶと、大きな声をだして激しく泣き出してしまいました。 「約束します。誓います。もう、けして悪さはいたしません」 心から悪かったと思ったらしい河童の、泣きながら謝る姿を見て、村人達は、河童がかわいそうになってしまいました。 「ご隠居さん、わしらからもおねげえしますだ。河童を助けてくだせぇ」 「おいおい、村の衆よ。わしかて鬼じゃあないよ。あんなにも謝っているのなら、わしだって殺せなんていわないよ」 ご隠居からも、村人達からも許された河童は、なんどもなんども振り返っては頭を下げ下げ、牛久の沼へと帰ってゆきました。 許され牛久沼の河童は、その後悪さをしなくなったばかりか、脅した馬にも悪かったと思ったのでしょう、毎朝、馬が食べる岸辺の葦を刈り、束ね、持ち帰りやすいよう置いておくようになったのです。 そんな河童の気持ちに感謝した村人たちは、河童が好きな、かぴたり餅と呼ばれている餅を造り、お礼として沼に投げ込むようになりました。 それからは、毎年十二月の一日に、水の安全を祈る行事として、餅を投げることが、この地方の習慣になったそうです。 |