創作民話 馬に引かれた河童

掲載日:2003年7月28日
最終更新日:2005年8月19日



岩手県遠野地方の伝承集「遠野物語」より

 遠野の村には、猿ケ石川と呼ばれる大きな川が横断するように流れています。村の中心から東に六キロほど離れたところには、北の方角から流れ込む小烏瀬川という支流があります。そしてその二つの川が合流するところから、少し北にさかのぼったところに、姥子淵という陰気で暗い淵がありました。
 姥子淵から五百メートルほど西に、村人から新屋と呼ばれている大きな農家の屋敷が建っていました。

 遠野村の庄屋の家に生まれた三男の正吉が、若い頃に仙台に出稼ぎに行き、金を稼いで遠野に戻り、田畑を買い、小さな家を建てて住み始めたのでしたが、働き者だったことと、聡明な頭を持っていた正吉でしたから、所有する農地を徐々に増やし、村の中でも有数の富裕な農家になっていたのです。

 広大な農地を持つ農家でしたから、農耕を助けるために馬を数頭飼っていました。また、その馬の飼育をするために、貧しい村人の子供だった留太が、馬番として住み込みで奉公していたのです。
 夏の暑い日でした。主人の正吉が、農耕のためだけではなく、しばしば乗馬としても使っていた愛馬の「くろ」は、暑さをことのほか嫌う馬でした。暑い日は機嫌がわるく、馬小屋の木の壁を後ろ足で蹴るのです。ぼこぼこと板が鳴る音が母屋にまで聞こえてきました。
「おぉ、厩の壁を叩いているのはくろだべぇ。暑いが気にくわねぇようだな。おい、だれか留に姥子淵で水浴びをさせてくれるよういいつけろ」  馬番の仕事は、飼葉の世話をすることと、畑に出て農耕を行う時には付き添わなければならず忙しいが、それ以外はあまり仕事がありません。今も留太は、遊び友達とする独楽合戦用の独楽を、厩の外の日陰に腰を掛け、せっせと造っていたのです。

「おい、留太、旦那様からの命令だ、独楽なんか造ってねえで、くろを姥子淵さぁ連れてって水浴びぃ、させてこ」
 年寄りの下男に言われた留太は不服でした。なにしろ、今夜は友達との大事な試合の約束があるのです。
「なんでぇ、なんとまぁ、馬っこさばかりでぇじにする旦那様だべ。おらっちのこともちったぁ考えて欲しいもんだぁ」
 不満はたらたらなのですが、命じられたのではしかたがありません。厩に行き、くろを連れ、姥子淵にとやってきたのです。
「さぁさぁ、水に入った入った」
 乱暴に馬を水の中に入れ、自分はそばにある大木の日陰に腰を掛け、ただ馬を見ているだけの留太でした。

 くろは、さすがに、主人が愛玩するだけのことのある賢い馬でした。馬番の留太に水を掛けてもらわなくても、そのふさふさと豊かな尻尾の毛を使って、水を身体に掛け、気持ちよさそうに水浴びをしています。
「ほんに、利口な馬だぁ。俺が面倒みることもねえべぇ」
 造りかけの独楽が気になってしかたのない留太です。馬を淵に残したまま、厩に戻ってしまったのでした。

「やや、あれは、新屋っちのくろだ。さすがに見事な馬だなぁ。黒い皮が艶々してるじゃないか。食ったら美味いに違いない」
 姥子淵の岩陰から、水浴びをする馬を見て、この淵に住む河童が舌なめずりをしました。
「どうやって、あの馬を捕まえようか」
 以前にも、この馬を捕まえようと、正面から襲った河童でしたが、近づく前に目ざとく見つかってしまい、頭を低く構えたくろから、その長い顔の一撃を受け、転んだところを、したたかに足で蹴られ、ほうほうのていで逃げ出した苦い思いでがあったのです。
「ようしぃ。前から行ったんじゃあ気づかれる。後ろからそっと近づき、尻尾を持って引きずり込んでやろう。そうすれば、馬のやつは誰に引っ張られているかも判らず、 驚き慌てて攻撃なんかできないはずだぁ」
 自分の立てた作戦の見事さに、にこにことしながら、それでも慎重に後ろからくろに近づいた河童は、両手でしっかりと馬の尻尾をつかんだのでした。
「そうれ、つかんだぞ。これでこっちのもんじゃ」
 突然尻尾をつかまれたくろは、激しく尻尾を震わせて振りほどこうとしましたが、尻尾の中ほどをしっかりとつかんだ河童はその手を離しません。しかし、あまりにも激しく
くろが尻尾を振ったので、その毛が絡まり、逆に河童の手は馬の尻尾に縛られたようになってしまったのです。
 始めは、つかまれて驚き、狼狽したくろだったが、そこは、賢い馬です。しっかりと足を踏ん張り、水の中に引きずり込もうとする河童を、逆に、じりじりと前に引っ張りはじめました。
「やや、どうしたことだ、俺の方が引きずられてる」
 驚いた河童でしたが、離そうにもその手は、しっかりと馬の毛にからみ取られ、ほどくことができなかったのです。
 始めは少しずつ引っ張られた河童でしたが、しだいにその速さは増し、ついに、河童の足は地面を離れ、馬は走り始めました。
 くろは、あっという間に、厩まで駆け戻ってしまったのです。

 厩までつき、急に止まった反動で、からみついていた毛が解け、河童はしたたか、厩の板壁に打ち付けられました。そしてその振動から、板壁の釘に掛けていた、飼葉桶が落下し、河童の上に落ちてきたのです。
「いてぇ」
 飼葉桶に激しく頭を打った河童は、気を失い倒れ、その上に飼葉桶がすっぽりと被さってしまったのです。
「なんだ、騒々しいい」
 この物音に着ついた正吉が、母屋から厩へと行ってみると、いつもは壁に掛かっているはずの飼葉桶が庭に伏せられた形で落ちているのを発見したのです。
「なんでこんなところに、飼葉桶が落ちているんだ」
 不思議に思った正吉が、桶の縁を持って少し持ち上げてみると、中なら、河童の手が少し見えたのでした。
「おぉ、中にいるのは河童だそ。ははぁん。くろを食おうとして出てきて、逆に捕らえられたんだなぁ」
 主人を見ながら、うれしそうにいななくくろの様子を見た正吉は、ことの事情を理解したのです。

 その場で殺してしまおうとも思った正吉でしたが、河童は悪さをする妖怪ではあっても、水の守り神でもあります。自分ひとりで勝手に始末することをはばかった正吉は、村の主だった人たちを集め、どのように扱うかを話し合うことにしました。
「なんも、考えることなんかねえべぇ。おれっちの馬もこいつに脅かされ、殺されこそしなかったが、その年は流産して子馬が取れなかった。にくい河童だ。殺すべぇ」
 村人の意見の大半は、そんな、殺すべしとの言い分でしたが、熱心な仏教徒でもあった正吉は、今まさに害をなそうとして立ち向かってくる河童ならばいざしらず、飼葉桶に閉じ込められた哀れな河童を、ただただ殺す気にはなれませんでした。
「村の集よ。われらも佛の子。河童といえども、害もせず、抵抗もできない河童を、むげに殺すには忍びなかろうて。なぁ。河童が馬に悪戯さえしなければ、そう約束すれば、許してもよかんべぇな」
 熱心に河童の命乞いをしのです。村人も、もとより、朝に夕に、佛に手を合わせる純朴な農民たちです。河童憎さに殺してやるといきまいてはみても、命の大切さは子供の頃から教えられて育っています。正吉に言われてしまうと、殺せとは言えなくなってしまいました。しぶしぶでしたが、庄吉の意見に従うことになったのです。
 村人が集まって談合している一部始終は、伏せられた飼葉桶の中に閉じ込められた河童も聞いていました。後ろから襲えば馬をたやすく捕らえられる、思って実行した自分の判断の間違いの結果から、いままさに捕らわれの身になってしまっているのです。捕らえられたからには、殺されてもしかたがないと、河童なりに覚悟を決めていたのですが、思いもかけず、正吉の佛心に助けられた。そのことは、聞いていた河童も解っていました。
「のう、河童さんよ。今日これから、いっさい、村の馬っこさ、悪戯しないと約束すんなら、許してやる。約束できるけぇ」
 優しく言われた河童は、ただうなだれて涙を流し、村人一人一人に、頭を下げるしか、なすすべが無かったのです。二度と悪さはしない。堅い約束を心からした河童でした。

 許され、帰された河童は、それからもしばらくは、姥子淵に住んでいましたが、庄吉に親切にされたことは、河童としての自尊心にとっては辛かったのでしょう、また、どう考えても、それは、自分の不始末の結果です。それが恥ずかしかったのです。
 とてもこのまま姥子淵には住んでいられないと、淵を出て村を去つて行きました。
 姥子淵の河童が、相沢の滝の淵に移り住んでいるらしい。そんな噂が流れて聞こえてきましたが、定かなことは、だれにもわからなかったとのことです。



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