創作民話 ざぐり穴の河童

掲載日:2003年6月21日
最終更新日:2005年8月19日


群馬県桐生市梅田地区伝承より

 それが、いつごろのことかすら、解らないほどの昔々のお話です。

 桐生川の上流、現在の桐生市梅田町5丁目の蛇留淵(じゃるぶち)の近くに、村人から「ざぐり穴」と呼ばれていたほら穴があったのだそうです。
 その穴の前には、平らな岩があり、よく晴れた暖かい日には、まだ小さな娘が、その岩の上に、糸巻きの道具である座繰り機を置いて廻している姿が目撃されたのです。
 その近在のどこの家にも、そんな娘はいませんでしたから、村人は、それが、「ざぐり穴」に住むと言い伝えのある河童が姿を変えているのだと思っていました。

 村人は、その河童の娘を怖がってはいませんでした。ただ一人で、楽しそうに座繰り機を操るだけです。住民に害を与えることなど無かったからです。しかも、その娘の愛らしい姿は、見るものにやさしい心をさえ感じさせていたのです。
 河童の娘は、お腹が空くと、近くの農家に行き、煎った大豆を別けてもらい食べるのが大好きでした。農家の女も、この娘のかわいらしくねだる姿にはさからえない。いえ、むしろ喜んで与えていたのだそうです。

 ある日、いつものように、娘は農家におねだりに行きました。庭先で仕事をしていた女も、「今日は良いお天気だから、きっと娘が来るよ」楽しみにしていたのです。
 ところが、この日は、うっかりとして、大豆を切らしてしまっていたのです。
「おばさん、お豆をちょだい」
ねだられ、
「はいよ、ちょっとまっててね」
と答え、土間に入ってから、いつもしまってある戸棚に大豆が無いことに気が付いたのです。
「こまったぁ。無いと言ったら悲しむだろうな」
 とそのとき、この娘が実は河童であることに女は気づいたのでした。
「今、この家には私一人。豆が無いと言ったら、河童が本性を現し、襲われるのではないだろうか」
 怖くなった女は、とっさに、小石を袋に詰め、娘に渡したのです。袋の中が小石だとは知らない娘は、うれしそうに袋を受け取り帰ってゆきました。

「中身が石と知って、怒っているのではないかしら」
 恐ろしさから、その日、女は家の中に閉じこもっていました。そして、次の日。この日も晴天でした。いつもなら、娘が座繰り機を廻しているはずです。女は、一人では怖いので、夫に一緒についてきてもらい、ざぐり穴まで様子を見に行きました。
 ざぐり穴の前の岩には、娘の姿はもちろん、座繰り機もありませんでした。

 その次の日からしばらく、雨の日が続き、ようやく晴れたある日。女はざぐり穴に行ってみました。やはり娘はいません。
 娘を騙したと、今ではすっかり後悔していた女は、謝ろうと、意を決し、ざぐり穴の中に入ってみました。
 そこには、たしかに、誰かが住んでいた、そんな痕跡は残ってはいたものの、娘の姿も、座繰り機もありませんでした。ただ、女が見たのは、穴の奥の、ちょど寝台のように平らになったところに、椀一つくらいの量の水が、水溜りとなって光っていました。とても、他のどこかから自然に流れてきた水には見えません。
 女は、恐る恐る、その水をなめてみました。
「しょっぱい……。な、涙だ。きっと、私に騙されたと知って、悲しくて泣いていたんだ」
 後悔の気持ちと、こんなにもやさしい河童を、一瞬でも恐ろしいと感じた自分が切なくなり、女はその場に泣き崩れてしまいました。

 そしてその後、もう、何百年も、この「ざぐり穴」の廻りでかわいい娘をみたかけた村民は、だれもいないのだそうです。
(注)桐生の郷土史家「清水義男」氏の収集した民話のストーリーを元に、私が創った創作民話です。
 オリジナルのストーリー展開に不自然さを感じたことから、後半部分は大きく変わっています。
 オリジナルは、大豆をねだられた女は、娘があまりにかわいいので、切れているからと断るにしのびなく、小石を与えたとなっています。その後、 お腹を壊したから現れなくなったのではと、心配するストーリーになっています。
 かわいいから小石を与えるというロジックは、お話としてちょっと無理ですので、怖かったので急場しのぎに小石を与えたと変えました。

 桐生市のNPOのHPにオリジナルが収納されています桐生の昔話作成プロジェクト




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