私の意見:マイ・オピニオン
 

 C談話会:太田の遺跡と歴史

 古くから開けていた太田地域です。ここには、多くの遺跡があります。

 また、清和源氏嫡流が新田荘の領主になったほど、地勢的にも重要な地域であったことから、その歴史も多岐にわたっています。

 そんな太田の遺跡と歴史を整理してみようと思っています。

 私事になりますが、今年の夏から、34年間のサラリーマン生活から引退します。自由になった時間を使いレポートをまとめるつもりです。

 そして、できたら、日本民俗学会の伝統に基づき、『談話会』を、太田の地で開催することを考えています。

 もちろん、お堅いだけでは勉強会です。あくまでも『談話会』ですから、参加者がそれぞれの知識や経験を気軽に話す会にしたい。そして、会が終われば、一杯傾けながらの談笑をしたいと思っています。

 このサイトをご覧になっていらっしゃる方で、趣旨に賛同される方はご連絡ください。

 太田の良さを再発見する、そんな『談話会』にしたいと思っています。

 ご連絡は、左記までお願いいたします。  
e-mail:atsushi.sasaki@albsasa.com


 B太田市立図書館は市民目線を

 年末に市立図書館に行き、本をお借りました。年末年始のお休みのうちに読み、開館の初日に返すつもりでいました。図書館の入り口には、『1月1日(木)より1月3日(土)まで休館』と張り出されていたので、1月4日に返しに行きました。

 ところが、入り口は閉まっていました。張り紙を良く見ると、このように書かれていました。

 『4日(日)は、開館準備』。これって、早い話が『休館』ということではないでしょうか。

 私たち利用者にとっては、『1日から3日までは職員は休み。4日は職員は出勤だが、図書館は開けない』など、まったく無関係です。

 利用者の目線ではなく、自分たちの目線で張り紙をしているのです。

 もちろん、良く見なかった私が悪いのですから、張り紙を見直し、苦笑して戻りました。張り紙をした方を非難するつもりはありませんが、公共サービスなのですから、利用者目線で物を考えることは必要ではないでしょうか。

 実は、太田市立図書館では、以前にも同じような体験をしました。それが、組織としての体質なのか、ある個人の職員の問題なのかは 解りません。しかし、反省をして欲しい。市民目線で考えることをして欲しいと思います。


 A太田を歴史と文化の町に

 このサイト全体を見ていただけるとご理解できると思いますが、私が言いたいことは、太田を『歴史と文化の町』にしたいと言うことなのです。

 歴史や文化を特徴としている街は、全国に多数あります。それらの多くは、元々城下町であり、長く続いた江戸時代に歴史や特に独特な文化を形成した町です。そんな意味からは、確かに、太田地域は天領であり、多数の中小零細領主の支配地でした。特定の文化を作り上げる権威が無かったのは事実です。

 太田は、大光院の門前町と、日光例幣使街道の宿場町と言う地味な、実態は小規模な農村地域だったことも事実です。しかし、それでも文化はあります。人が暮らすからには、文化は形成されていたのです。

 そこに住む住民が、歴史も文化も無い町だと思っていたのでは、いつになっても文化都市にはなれません。

 私がこんなことを書くと、文化の無い町だなんて思ってはいないと、古くからの住民からクレームされるかも知れませんが、しかし、現実を見てください、市の行政の現実を見ても解る通り、まともな市立図書館も整備されていない。公立の民俗博物館はもちろん、一般の博物館すらないのが太田市です。これが現実です。

 おそらく、市の職員の中に、博物館学芸員の資格を持つような人はいないのでしょう。そんな能力のある人を採用していないのではと私は思っています。
 。私は、日本民俗学会の会員ですが、太田には、私の他には会員はいません。厳密に言うと一人います。でも、その方は、熊谷の学校の先生です。たまたま、太田に住んでいるに過ぎない。

 会員名簿を見ると、もちろん、アカデミックナ大学の先生も多数会員になっていますが、その他は、地域の学校の先生や、行政の文化担当者が会員になっています。しかし、太田には、一人も学会員はいないのです。こんな市なんて、他にはありません。

 私は、太田には、文化は有っても、それを理解している人がいないと思っています。

 その私に、『いや、違う」。太田の古くからの住民や、市内の教師や、行政の文化を担当する人達から、そう言って欲しいのです。

 繰り返しますが、太田にも、歴史や文化は有ります。太田で生まれた子供たちに、それを知って、誇りを持って欲しいのです。

 大学教育は東京で受けるか知れません。しかし、卒業したら、大好きな太田にと、帰ってきて欲しいのです。

 そんな太田の町造りは、行政の責任と思っています。土木工事で、業者の懐を潤すことだけが行政ではないはずです。

 一生住んでいたい町、太田をそんな町にしたいと私は思っています。

 太田に、民俗資料館や民俗博物館を創りましょう。子供たちに、太田に生まれてよかったと思う町を創りましょう。


 @焼きそばの町ってなんなの?

 『焼きそばの町太田』ということになっているようです。なぜ、焼きそばなのか?

 ラーメンの佐野や会津喜多方などは、そもそも、地域にしっかりとしたラーメンに取組むお店が有ったことから、それにならうお店が増え、社会的に認知されるようになりました。太田に、そんな焼きそばのお店があったなどとは信じられません。

 聴くところによると、市役所主導で強引に決めたとか。これでは、定着するはずもありません。そもそも、他の地域に誇れるような美味しい焼きそばの店など、無くて始めたのですから動機が不純です。とは言っても、決めてしまった以上はなんとかしなければ、笑いものになるだけです。すでになりかけていますが。

 太田を『焼きそばの町』として定着させるための施策を考えてみました。私が知らないだけで、すでに実行されている項目も含まれるかも知れませんが、ご容赦下さい。

@レシピコンクール開催
 プロ、アマを問わず、オリジナル焼きそばのレシピコンクールを定期的に実施する。

A焼きそばマイスター認定制度
 太田祭りなどを利用し、参加店を募集。市民に試食をして貰い、毎年優勝した料理人をマイスターに認定する。マイスターのお店には、マイスター認定看板の掲示を認め、焼きそば地図にマイスターの店を明記する。

B焼きそば体験ツアー開催
 麺と言えば中国です。中国には、広い意味での焼きそば、つまり、スープ麺ではない麺料理がたくさんあります。市が企画し、『焼きそば食べ歩きツアー』を実施する。

 太田が焼きそばの町として名実共に定着するには、継続的な取組が必要です。1回だけ行ったではだめなのです。年中行事にしなければいけません。